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茶道具万覚帳

近代の名工・名窯

17. 九谷焼

九谷焼は北陸を代表する金沢のやきもの。諸説ありますが、寛永から明暦初め(1624 年~)に加賀藩の前田利治が大聖寺(加賀市)に移城中、有田(伊万里)で陶法を学ばせた藩士の後藤才次郎に開窯させたとする説が有力です。
元禄初年の頃(1688年)、藩の経済がひっ迫したため廃窯しました。この40~50年間にできたものを“ 古九谷”と呼びます。

古九谷は、どこか柔らかい土の感じをもっており、おっとりした白釉、落ち着いた彩釉です。色絵物であるため、鑑賞陶器としての性質が強いやきものですが、茶陶では色絵・半筒型のものや金襴手のものがよく知られています。
現代の九谷焼を代表する作家のひとりが矢口永寿です。当代(三代目永寿)は、仁清・乾山祥瑞を中心に制作。時代の流れに応じた変化をとりいれつつも、初代以来の品のよさを受け継いでいます。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・矢口永寿作 安南写乾坤茶碗 久田書付 ¥80,000
・矢口永寿作 赤絵鉢「寿」の字 ¥50,000
・矢口永寿作 錦鱗茶碗 福の字 ¥80,000
・矢口永寿作 汲出(十客) ¥63,000 
・須田菁華作 赤絵鉢(兼中斎箱) ¥90,000
※リンクのある商品はインターネットからのご購入も可能です。

16. 小代焼

小代焼は熊本県玉名郡南関郷宮尾村竜の原(現:玉名郡南関町宮尾)で創始されたやきもの。加藤清正が朝鮮から陶工を連れてこの地に開窯したというもの、あるいは寛永9年(1632年)に豊前上野焼に従事していた牝小路(ひんのこうじ)源七、葛城安左衛門が細川三斎を頼ってこの地で開窯したというものなど、起源には諸説あります。

やや厚づくりの黒褐色の堅い胎土を用いた野趣あふれる雰囲気のやきものです。光沢のある黒飴色と白釉がかかり、それが窯変して海鼠を呈するため、朝鮮唐津と混同されることもあります。茶碗の場合は朝顔または筒型が多く作られました。大きな特徴は高台内に残された「の」の字です。小代焼は松風焼、五徳焼、牝小路焼、竜ノ原焼とも呼ばれ、陶印が入っていないものもあります。
牝小路・葛城両家とも明治10年(1877年)から20年の間に廃窯しましたが、昭和になって、近重冶太郎・城島平次郎らの努力によって復興をとげ現在もいくつかの窯で作られています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・小代焼 片口 ¥80,000
・小代焼 三代近重治太郎 ローソク手茶入 ¥34,000
・小代焼 三代近重治太郎 建水 ¥18,000

15. 淡路焼(珉平焼)

珉平焼は淡路島の南端三原郡伊賀野村(現:南あわじ市北阿万伊賀野)で賀集珉平が創始したやきもの。地名から淡路焼または伊賀野焼と呼ばれることもあります。
珉平は代々醤油を造る大地主の家に生まれましたが、製陶になみなみならぬ興味を持ち、京都での奉公時代に陶工尾形周平に出会い指導を仰ぎました。国に帰ってからもますます情熱は冷めやらず、家業を廃し、土地家財さえ売り尽くすまで製陶に魅せられていました。

天保年間綱紀には阿波徳島藩の御用窯となり、ようやく名が知られるようになりました。
珉平焼の特徴はその幅の広さにあります。京焼風のほか黄南京など中国の陶磁写し、漆器や金属器を写したものまでも作られました。珉平の没後は甥の三平、淡陶社へと製陶技術が引き継がれましたが、茶陶では初代珉平の作を第一としています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・賀集珉平作 海老茶碗(写真上) ¥70,000
・花菖蒲茶碗 珉平窯 共箱 ¥100,000
・染付小水指 珉平焼 箱なし ¥25,000

14. 大樋焼

大樋焼は石川県金沢市のやきもの。寛文6年(1666年)に加賀藩主5代前田綱紀が、茶頭役として裏千家4代仙叟宗室を招聘した際に、楽家4代一入のもとで修行中の土師長二(初代長左衛門)が仙叟に見出されたのがはじまり。河北郡大樋村に土地を下賜され築窯し、陶器御用を勤め地名の「大樋」を姓とする事を許された。

大樋焼最大の特長は、光沢のある黄赤褐色の滑らかな飴釉。楽とは一線を画した初代の飴釉主体の重厚で独特な作風は高く評価された。初代の作品には仙叟好みのものも多い。その後7代まで藩の焼物御用を勤めたが、明治維新後は藩の保護を失い明治2年に大樋焼は一時廃業に至った。明治30年には7代の高弟であった奈良理吉が8代長左衛門として名窯を受け継いだ。研究心旺盛で、白幕釉や唐三彩の技法を取り入れるなど独自の技術を確立し、晩年には再び大樋焼の名を復興させた。
明治から昭和の長い陶歴を全うした9代ののち、現在は10代が作陶に励んでいる。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・十代大樋長左衛門作 飴釉海老摘蓋水指 鵬雲斎書付 ¥390,000
・九代大樋長左衛門作 雛の絵茶碗 鵬雲斎書付 ¥300,000
・九代大樋長左衛門作 飴釉釣舟花入 ¥160,000
・九代大樋長左衛門作 千切蓋置 井口海仙書付 ¥50,000
・九代大樋長左衛門作 大判灰匙(大炉用) 淡々斎書付 ¥140,000
・九代大樋長左衛門作 かつおぶし香合 ¥90,000
・九代大樋長左衛門作 飴釉茶碗 鵬雲斎書付 ¥320,000

13. 吉向焼

吉向焼は文化年間初め(1802 年ごろ)、大阪十三村で築窯されたやきものです。初代は伊豫大洲藩(現:愛媛県大洲市)出身の戸田治兵衛。京で楽家九代の了入、初代高橋道八、二代清水六兵衛、浅井周斎に師事したあと、十三村に築窯。庭前の老松と生駒山に出る月を愛でたことから「十三軒松月」と号したといわれます。

当時の将軍十一代家斉に献上した鶴と亀の喰籠が気に入られ、亀甲=吉に向かうにちなみ「吉向」の号を賜りました。初代の作品は諸大名にもてはやされ、信州須坂、周防岩国、水戸後楽園など各地で御庭焼を興しました。初代は交趾風を主としながら、染付、楽焼もあり陶技や意匠にすぐれていたといわれます。
五代目以降は、四代吉向(治平)の次男・長男がそれぞれ吉向十三軒(東大阪市布市)と吉向松月(交野市私市)の二家に分窯し、今日まで続いています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・七代 吉向十三軒作 彫三島写 四方水指 鵬雲斎箱 ¥300,000
・八代 吉向十三軒作 黒茶碗 鵬雲斎箱 ¥400,000
・八代 吉向十三軒作 赤茶碗 ¥200,000
・八代 吉向十三軒作 牡丹茶碗 ¥125,000
※リンクのある商品はインターネットからもご購入いただけます。

12. 尾戸焼

尾戸焼は高知県のやきもの。承応2年(1653年)、大阪から陶工・久野正伯を招いて城下尾戸の御用窯として発足しました。きっかけは土佐藩主二代・山内忠義がやきものの輸入にかける経費を案じて、自国での生産を志したことでした。同藩の森田久右衛門、山崎平内の2人が正伯について技術を相伝し、その子孫も長く陶業に従事しました。この正伯から森田、山崎時代の尾戸焼には陶印はありませんでした。「尾戸」の小判印などが現れるのは末期、または移転後とされています。
薄造りで肌に吸い付くような土味で、黄みがかった白の釉薬がかかった落ち着いた風情ながら優美なやきもの。代表的なのは呉須の濃淡のみで描かれた松竹梅の茶碗です。また注連飾りの絵茶碗もよく見られます。

陶器のみを焼いていた尾戸焼ですが1820年に高知市鴨部の能茶山に移転した際に、肥前の有田から陶工を招き磁器も焼き始めます。移転後のものは能茶山焼(のうさやまやき)として区別されています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・尾戸焼松竹梅茶碗 ¥60,000
・尾戸焼若松の画茶碗(惺斎箱) ¥120,000

11. 薩摩焼

薩摩焼は鹿児島県内で作られたやきもの一般に対する名称です。薩摩焼が始まったのは、秀吉が朝鮮出兵した文禄・慶長の役(1592~98)以後。当時の藩主・島津義弘が朝鮮半島から連れてきた朝鮮人陶工によって開かれたのが最初といわれます。
島津義弘は、優れた武将であるとともに千利休の直弟子として茶道の造詣も深く、文化産業の振興にも努めました。白土胎土を無色や淡黄色の細かいひび釉で覆う白薩摩は、京風の影響を強く受けました。また、色絵金彩の錦手は代表的な作風となり現在も引き継がれています。

薩摩焼は、堅野系・苗代川系・平佐系・竜門寺系・元立院系・種子島系と分けられますが、中でも色絵薩摩を創り出した堅野は薩摩藩の藩窯としての性格を持っていました。薩摩焼のうちで、現在も窯の名がもっともよく知られているのが沈寿官の窯をはじめとする苗代川です。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・十四代 沈寿官作 色絵秋草紋水指 ¥230,000
・陶正山作 紅葉画茶碗 ¥80,000
・陶正山作 唐松継絵茶碗 而妙斎好 ¥150,000
・陶正山作 七夕絵平茶碗 ¥70,000
・陶正山作 梶の葉絵平茶碗 ¥70,000
・新妻守作(江月窯)作 七宝瓔珞紋水指 ¥130,000

10. 萬古焼

萬古焼(万古焼とも)は江戸中期に桑名の豪商・沼波弄山が現在の三重郡朝日町に開窯したのがはじまり。乾山風にオランダ情緒や更紗模様、ライオンや象など珍しい動物を図案化した弄山の萬古焼は評判となり、江戸に窯を開くまでになりました。茶碗や水指などの茶陶から皿類まで作品は多岐にわたります。弄山時代の萬古焼を現在は「古萬古」と呼びます。
弄山なきあとに廃れていた窯を1832年に復興したのが森有節でした。この時代のものは「有節萬古」「復興萬古」などと呼ばれます。工芸的才能に恵まれ絵の名手でもあった有節は、古萬古の作風を踏襲しつつも独自の作風を作り上げ、高く評価されました。繊細で丁寧な絵付けや盛絵の技法も特色です。

現代では、裏千家の御好窯でもある松古窯の4代佐久間勝山と息子の5代芳山、また桑名市の無形文化財に指定された加賀瑞山(1896~1982)らが茶陶に励んでいます。

■ おすすめの商品(すべて現品限り/税込)
・萬古菓子鉢 ¥38,000
・佐久間勝山作 御本立鶴水指 ¥48,000
・佐久間勝山作 蝶蓋置 ¥10,000
・佐久間勝山作 俵に鼠香合 ¥8,000
・佐久間芳山作 笠香合 ¥15,000
・加賀瑞山作 乾山写槍梅蓋置 ¥7,000
・加賀瑞山作 ぼんぼり蓋置 ¥8,000
・加賀瑞山作 水玉透かし蓋置 ¥7,500
・加賀瑞山作 荒磯水指 ¥35,000

9. 赤膚焼

赤膚焼は奈良県の五条村(現:奈良市五条町)のやきものです。その起源には諸説あり、天正年間(1573~1592年)までさかのぼり、浮田秀長が常滑の陶工・与九郎を招聘して郡山に開窯したもの、正保年間(1645~1648年)に奈良一条院門跡の御庭焼として野々村仁清が開窯したとの説などもあります。一般的に赤膚焼が知られるようになったのは、享和年間に郡山藩主柳沢尭山が京都から治兵衛・伊之助のふたりの陶工を招き、赤膚山に再開窯された頃。小堀宗甫による指導を受け、遠州七窯にも数えられました。

赤膚焼を代表する名工として知られたのが江戸末期から明治にかけて活躍した奥田木白でした。仁清写しを最も得意としたようで、赤膚といえばすぐにイメージできる奈良絵のほか、蓬莱、四季草花、宝尽しなど色絵に定評がありました。現在では赤膚三窯のうち治兵衛を祖とする中の窯・古瀬尭三(八代)や、大塩昭山が赤膚焼を作陶しています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・赤膚焼 大塩昭山作 奈良絵茶椀 ¥19,500(共箱)
・赤膚焼 手付鉢 ¥180,000
・赤膚焼 茶入 傳衣老子箱「三笑」 ¥250,000

8. 虫明焼

虫明焼は岡山(現:瀬戸内市邑久町虫明)で作られる京焼風のやきものです。
諸説ありますが、虫明焼の始まりは江戸中期(1730年代)の「瀬戸窯(御庭窯)」が発祥とされています。虫明焼の最盛期は1800年代後半から明治時代初頭。岡山藩国家老であった伊木三猿斎が京都から初代清風与平らを招いて復興した「間口窯」時代といわれます。真葛宮川香山(二代)も明治初年の頃から約2年間滞在して作陶したとされ、このころに京焼の作風が確立されたと考えられます。清風与平作の高麗三嶋角水指や、香山作の虫明十二ヵ月茶碗、五節句茶碗などが代表的で、後年写しも作られました。この時代の作品は現在も愛好家が多く珍重されています。

明治後期以降も香山の弟子・森香洲や、その弟子・横山香宝や岡本英山、黒井一楽などにより窯は続きました。
「むしあけ」印はそれぞれの作家、窯元で数多く使われており、古いものは、作者の特定が難しいものも多くあります。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・むしあけ焼 流水にホタル茶碗 ¥30,000(税込/共箱なし)
・黒井一楽作 筋目茶碗 ¥10,000(税込/箱なし)
・黒井慶雲作 雁の絵茶碗 ¥35,000(税込/共箱)
・松本学作 つぼつぼの絵茶碗 ¥12,000(税込/共箱)

7. 高取焼

高取焼は福岡のやきもので朝鮮系陶窯のひとつです。1600年に黒田長政が筑前福岡に移った際、朝鮮陶工の八山(高取八蔵)が鷹取山麓に永萬寺宅間(現在の直方市)に築窯したのが始まりといわれ、以来現在に至るまで転窯を繰り返しながら400年以上続くやきものです。

遠州七窯としても有名ですが、遠州の指導により「綺麗さび」を表現した薄造りで瀟洒ないわゆる「遠州高取」は1630年、第四窯の白旗山窯の時代のものです。中興名物「染川」の茶入もこの時代に作られました。これ以前の永満寺宅間窯、内ヶ磯窯、山田窯のものは「古高取」と呼ばれ、唐津焼に似た厚手でずしりとした作風。古田織部の好みが多分に影響しているともいわれています。

現在は高取八山(当代十三代)のほかに、廃藩の影響で藩主の保護がなくなったころに独立した亀井味楽窯の亀井味楽(当代十五代)の作品も人気の高い高取焼です。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
十三代高取八山作 高取花入 ¥38,000
・亀井楽山作 肩衝茶入、鵬雲斎箱、替仕服付 ¥180,000
・亀井味楽作 七宝透かし鉢 ¥130,000

6. 今戸焼

今戸焼は東京(現在の台東区今戸町)のやきもの。天正年間に下総(千葉)から移り住んだ一族が瓦や土器を作ったのがはじまりとされています。茶陶の製作を始めたのは江戸時代中頃(1684年頃~)。初代白井半七が京都の土風炉師、宗四郎(永楽家初代の弟)から学び、二代半七の作品は「楽今戸」といわれ人気を集めました。雲華焼や土器風の土風炉と灰器、楽茶碗などの製作を中心に六代目まで続きましたが、関東大震災によって終止符が打たれます。

東京時代のものは「今戸焼」「隅田川半七」(印は「寿ミ田川」)などと呼ばれます。白井半七の作品は六代目までとそれ以降は明確にわかれています。
七代目からは窯を兵庫県伊丹市に、八代半七の時代には宝塚市に移窯。作風も今戸焼とは変わり、八代は乾山写しを得意とする名工として知られました。九代半七(1928~1987)は兵庫県三田市大原に窯を移し、昭和の時代を作陶に励みました。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・八代白井半七作 麦わら手蓋置 ¥55,000
・八代白井半七作 松絵菓子鉢鵬雲斎書付 ¥250,000
八代白井半七作 雁の画蓋置 ¥60,000

5. 古曽部焼

古曽部焼は遠州七窯に数えられる近畿地方のやきものです。能因法師がかつて津の国古曽部の里に隠世して手びねりで始めたのが最初、遠州が自ら指導したなどの逸話が残っていますが、実はどちらも確証や伝世品がないため、伝説の域を出ていません。
その後、復興古曽部として江戸時代後期(1791年)に五十嵐新平(四郎兵衛)が大阪府高槻市古曽部で復興古曽部として開窯しました。二代は器用人で安南や南蛮、高麗、唐津などの写しを造り成功し、三代は京都から陶工を招き京焼の技術を取り入れさらに家業を発展させました。

しかし、この復興古曽部も明治40年ごろ、五代新平の時に廃窯しています。
現在多く目にする古曽部焼は昭和54年に寒川義崇(和歌山の紀州焼葵窯初代・寒川栖豊の五男)が再び復興させたもの。古曽部焼義崇窯として宋胡録や織部、安南などの写しを幅広く作陶しています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・古曽部織部蓋置 ¥10,000
・古曽部紅安南茶碗(義崇作) ¥50,000
・古曽部鶏画安南茶碗 ¥30,000
※価格はすべて税込です。在庫状況は奈々瀬までお問い合わせください。

4. 八事窯

名古屋市昭和区八事に築窯された窯で、厳密には即中斎宗匠から「八事窯」の名を受けた2代目道年以降のものを指しています。初代・中村道年(新太郎)は、高橋道八や真清水蔵六などに師事した陶工で、当初は小幡の茶臼山に登窯を持っていましたが、大正12年に名古屋の豪商高松定一の知遇を得て八事に築窯。染付、赤絵、御本、楽焼など幅広く製作しました。八事窯および中村道年の名を広めた立役者は2代目である長男・正次でした。

2代目道年は本格的に楽焼を研究し、光悦風の楽焼に専念。その名手と呼ばれ、表千家をはじめ高く評価されました。銘印には二重丸印、六角印、小判印の「道年」を用いています。その後は若くして急逝した3代、その妻4代(尼道年)を経て、現在は5代目が窯を継いで作陶しています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・中村道年作 赤楽茶碗 ¥120,000
中村道年(三代)作 紅毛写小皿 十客揃
 ¥38,000
※価格はすべて税込です。在庫状況は奈々瀬までお問い合わせください。リンクのあるものはインターネットでご購入いただけます。

3. 琴浦窯

明治34年、現在の兵庫県西宮市において、和田九十郎正隆が創窯したやきものです。官職として奉仕するかたわら、陶器学校建設に尽力したものの実現せず、その間に製陶技術を修得したといわれます。辞職後、築窯したものの志を遂げずに逝きます。当時のやきものは、古代尼崎の地名に因んで「琴浦」という丸印を使用していました。
この父・九十郎の意思を継いだ「琴浦窯」の初代(号・桐山)が二男・正兄でした。明治43年、打出焼(芦屋市)に従事していた正兄が、尼崎市東桜木町に楽焼窯を築き「琴浦窯」と称しました。

大正12年には登窯を築いて、多くの陶工を擁し、白磁、青磁、染付、金蘭手色絵など多種多様な技法で茶陶の逸品を生み出しました。現在は4代当主とその長男(5代)の親子で、金襴手を含む色絵を中心に作陶しています。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
・和田桐山作八つ橋の絵茶碗 ¥80,000(現品限り)
・和田桐山作犬香合 ¥15,000(現品限り)
※価格はすべて税込です。在庫状況は奈々瀬までお問い合わせください。

2.膳所焼

膳所焼は近江国膳所(現・滋賀県大津市膳所)で焼かれたやきもの。茶陶として名高く、遠州七窯のひとつに数えられています。中興名物「大江」や「白雲」などに代表される黒味を帯びた鉄釉が特色です。膳所焼の最盛期は寛永年間(1624~44 年)。

近江奉行・小堀遠州と膳所城主・菅沼定芳は数寄者として交流があり、その後の城主・石川忠総は遠州の弟子であったことから、御用窯として遠州の指導を受け茶器を焼くようになりました。忠総の御用窯はわずか一代で廃窯しましたが、その後再興され、大江窯、国分窯ふたつの古窯を中心に江戸時代後期まで続きました。大正に入り、同地の岩崎健三が膳所焼の再興に尽力。息子の新定へと受け継がれました。鉄釉の高取・丹波風のもののほか、現在は染付、赤絵写し、交趾など幅広く焼成しています。銘印に「ぜぜ」とあるのは、すべてこの復興膳所のやきものです。

■ おすすめの商品(すべて現品限り)
膳所 棒先建水 ¥18,900
膳所 牡丹文茶碗 ¥68,250
膳所 立鶴蓋置 ¥19,800
膳所 丸壷茶入 ¥58,900
・膳所 水鳥香合 ¥20,000
※リンクのあるものはインターネットでご購入いただけます。価格はすべて税込です。在庫状況は奈々瀬までお問い合わせください。

1. 楽山焼

楽山焼は出雲地方(島根県松江市西川津楽山)で焼かれる陶器のひとつ。出雲焼には、ほかに布志名焼、意東焼、母里焼などがあります。楽山焼には刷毛目と伊羅保写しが多く見られ、伊羅保釉を使って仕上げられた落ち着きのある淡い山吹色が特徴です。楽山焼は江戸時代延宝5年、松江藩3代藩主の松平綱近が、萩の陶工・倉崎権兵衛を招いて開窯したのが始まり。権兵衛は伊羅保写しに長じたといわれます。4代目以降は一時窯が中断しますが、当時布志名焼の陶工だった長岡住右衛門が松平不昧公によって見出され、5代目として楽山焼を再興。中興の祖と称されます。

5代の跡継ぎが早逝したため、布志名土屋善四郎の孫が長岡家に養子にはいり、6代を継ぎ号を空斎とします。空斎は不昧に重用され、このとき色絵や金襴手の技術も身につけたといわれます。以来、空味(9 代)ー空處(10代)ー空権(11代・当代)と今日まで続きます。

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